Bermerkids' diary

文筆家気取りで他愛もない事を書くブログです。稚拙な主張ではありますが広い心で読んでいただければ幸いです。

アニメ・漫画と「アスペルガー症候群」

 今日日常系アニメの『きんいろモザイク』最終話を見終わった。

もう作品も後半に入ってからの視聴だったが、歳をとるにつれて次々とアニメを見る気を無くしていく中でなかなか面白い作品だったと思う。

とは言っても英国人の美少女と日本人の美少女が学園生活を戯れる様が面白いのではなく(散々言われている通りそれは「面白い」のではなく「可愛い」のである。「可愛い」にそれ以上の意義などない)、「こけし」こと大宮忍の奇妙さが興味深いのである。

彼女はしばしば2ちゃんねるなどでしばしば嘲笑を買って「池沼」と呼ばれているようである。

彼らの言う「池沼」とは知的障碍者の略の誤変換なのだが、大体において「池沼」キャラが問題を見せるのは知識や思考力の範囲ではなくて、社会性においてである。

つまり障碍者というのは合っているのだが「池沼」キャラは現実世界で言うならば、知能指数が正常範囲の自閉症人物、つまりアスペルガー症候群の人間なのである。

作り話で何を馬鹿な事を、キャラクターの性格など原理的には自由自在に作れるではないか、と思われるかもしれないが、私は原作者であるにしろ監督であるにしろ製作者の誰かの知人にアスペルガー症候群の人間が居てそれをモデルにしている、ないし製作者本人がアスペルガー症候群で今までの人生で苦労をしているのだと思っている。

 大宮忍は作中で多くの理解しがたい言動・行動をとる。

彼女は度々親友であるはずの人々を傷つける言動・行動を取る。

相手の言い間違いを執拗に真似してからかう(というかそもそも相手が言い間違いを真似すれば傷つくということを理解していない節がある)。

親友のアリス・カータレットに(相手が喜ぶと思って!)アリスの出身国であるイギリスの単なる石をプレゼントする。

アリスとの大事な記念日を忘れ、そのまま寝てしまう。

原作ではアリスからのプレゼントをゴミだと勘違いしてごみ箱に捨てろと言うようである。

…などなど枚挙にいとまがない。

服装にも問題がある。忍は友達と遊びに行くのに紫のドレスを着て来たり、あるいは赤ずきんのような服装を着て来たりする(要するに彼女は友達と遊びに行く時は”恥ずかしい恰好”をして行ってはならないと言う一般常識を”御洒落な正装”をしなければならないと過大に捉えていると考えられる)。

要するに「他者の視点」が欠落しているのである。

一方で彼女の成績は芳しくなく(試験で0点や10点を取る)、学習に何か問題があることを仄めかせる。

 忍がアスペルガー症候群だと思ったのは偏見ではないと言っておく。ウタ・フリス編著の『自閉症アスペルガー症候群』を読んでアスペルガー症候群の人間は驚くほど同じ体験を共有しているであろう事を感じたからである。

 

自閉症とアスペルガー症候群

自閉症とアスペルガー症候群

 

 

本書では自閉症アスペルガー症候群は一つの連続した障害のスペクトラムであり、この病気は(人間が進化の過程で手に入れた筈の )「心の理論」が欠損することに依る事が主張されている。人間は「心の理論」によって「他者の視点」を獲得する。

 

本書でなされている提言を挙げると以下の様になる(誤読しているかもしれない)。

即ち「アスペルガー症候群の子供は叱り続けても褒めそやし甘やかし続けても失敗する。彼らに教育するときは、何故それをすれば子供自身の利益に繋がるを筋道立てて説明することによらねばならない。」

そして「”アスペルガー症候群”と聞くと何か天才的で自分一人でやっていけそうなイメージをするが、実際には高い知能指数を伴った人々は健常者同様一握りであり、そうでない大多数の人々にとってはアスペルガー症候群であることのデメリットの方が上回る。また高い知能指数を持っている人々でさえ周りの理解と援助を必要とすることが多々ある。」 

 

本書を無理やり架空のキャラクターである大宮忍に当てはめると学習障害を併発したアスペルガー障碍者、と言う事になるだろうか。

現実に存在すれば生活に、就職に、結婚に、育児に苦労すること間違いなしである。彼女の今後は茨の道であるはずである。彼女は翻訳家になりたがっていたが難しいのではないだろうか。

がしかしアニメ最終話(第12話)にて現実には彼女は将来何になるかも暗示されている。

アニメ第12話の「きんいろのとき」では彼女が自ら創作したミュージカルを滔々と語ることにより友人達のみならずクラスメイト達も感動させ、拍手喝采を浴びている(突然教室で熱っぽく語りだす奇妙さ、詩的な言語能力もアスペルガー症候群の特徴と解釈できそうである。)。

彼女は将来「翻訳家」という青い鳥を追いかけるのを止め、自らの天職たる「脚本家」「女優」を目指すのではないか。

とはいえ「青い鳥」である翻訳家を諦め自らの適性を受け入れるまでは日常生活の困難も相まって苦難の日々である事は予想に難くない。

 

 ここまで書いてきてやはり何を作り話相手に、と呼ばれるかもしれない。

確かにアスペルガー症候群を疑わせるパーソナリティのキャラクターはアニメ・漫画に遍在する。

しかし確固としたアスペルガー障碍者ならではのエピソードを見せてくれるキャラクターはそれほど多くないのではないか。

いま思いつくのは『けいおん!けいおん!!)』の平沢唯、『キングダム』の龐煖、『桜荘のペットな彼女』の椎名ましろ、それにずっと昔の漫画の『動物のお医者さん』に出てくる菱沼聖子などだろうか。男だと見苦しいだけなので男性の数が少ないようである。

平沢唯はマラソン大会の最中に知り合いのお婆ちゃんの家に上がりお茶を飲む、という非常識な行動をとっている。

菱沼聖子も「考えてはいるのだが手がついていかない」というような事を言っていたり非常識な行動を取ったりしている。

涼宮ハルヒの様なアスペルガー症候群だと断言するには証拠不足のキャラクターと比べ、これらのキャラクターは製作者が直接的に見聞きしたアスペルガー症候群の人間をモデルにして作られているのではないか(製作者本人かもしれない)。

或いは『まんがタイムきらら』はそういうキャラクターを出すのが好きなのかもしれない。

 取り留めのない話になったが要するにアスペルガー症候群の人間はそこらじゅうにいて創作の糧になっているのだろう、という話である。

次に私が見たいのはこれらのアスペルガー症候群の人間が実社会にて苦労し、一時的には生きる意味を見失いながらも最終的には生きる意味や居場所を見つけ出してくれる展開、であろうか。