Bermerkids' diary

文筆家気取りで他愛もない事を書くブログです。稚拙な主張ではありますが広い心で読んでいただければ幸いです。

イスラム世界への敵意に「各民族の文化」は関係していないのか

 前の記事は若者らしくふざけたものを書いてしまった。友人が眉を顰める様が目に浮かぶようである。また恥じ入る気持ちが増してしまった。

先日の記事に続き、イスラム世界について書き残しておこうと思う。ただし今度はイスラム教自体には咎はないという可能性について考えてみようと思う。第一前回の記事にしたって(池上彰的な申し訳に聞こえるのかもしれないが)イスラム世界の批判、否定が目的ではなくイスラム世界を論じるためのコンディションを仕切り直した方が良いのではないか、という提言であり今回もそうである。

 いくら大学の人々(ないし大学者の意見に影響された人々)が声高に叫ぼうともイスラム世界への敵意は収まる様子はない。

面と向かって彼らを批判する者はいないが、顔の見えないインターネットでは、「彼らは不寛容で、好戦的で、女性の人権を踏みにじっている」という主張を度々見受ける。少なからぬ欧米の人間が彼らに殺意を持っているのははっきりとわかるし、日本人は彼らに欧米人のような憎しみは抱いてないものの、彼らへの恐怖からくる否定的な意見は少なくはない。

 こういう「差別的」な意見に対して大学の人々はこう窘める。様々な反論は有るのだが大きく二つのパターンに分けられるだろう。

一つ目の反論のパターンは「イスラムは本当は寛容で、好戦的でもなく女性の人権を蹂躙してもいない。彼をそのように見るのは欧米、特にアメリカによる印象操作が原因である。経済が停滞している国が多いように見えるのはアメリカによる経済制裁の所為である。」

二つ目の反論のパターンは「イスラム世界に住む人々は現に人権侵害を行っているが、それはイスラム教が原因なのではない。各地域の風習はイスラム教とは独立して存在している。」

一つ目のパターンは聞いても仕方がないし、人々から感化されていると受け止められるかプロパガンダと見做されて結局はイスラム世界への敵意を却って深めるだけであろう。

こういう意見の人々は一方では「イスラームは生活・社会全般を規定するものなので「イスラム教」という呼称は適切ではない」という一方で、イスラム教の厳格さの過度な面について言うと「実際にはそれほど厳密に守られているわけではない」と答えを返してくる。一体どちらなのであろうか。

アメリカの陰謀を主張する人は一度自分が自らの「心の理論」に騙されている可能性を考えた方が良い。

 しかし二つ目の反論のパターンは傾聴に値するものである。女性への人権侵害を例にとってみよう。

「女性器切除は実際にはアフリカ大陸の一部において行われているに過ぎず、イスラームのは何の関係もない」

確かにイスラム世界で一般的というには程遠い。寧ろサヘル地域(ないし歴史的スーダーン)の文化だと言えそうである。

 

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(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Fgm_map.gif)

 

他の事例も見てみよう。

名誉の殺人ヒンドゥー教徒によっても行われておりイスラームとは無関係である。」

確かに名誉の殺人など寡婦が亡き夫の後を追って焼身自殺をさせられるなど、ヒンドゥー教徒の社会もパキスタン、アフガニスタンに負けず劣らず女性抑圧的である。

しかしアフガニスタンのハザラ人の社会は彼らほど女性抑圧的ではないし、東アフリカのイスラム社会やマレー・インドネシアではより穏健であると考えられる。

とするとこの地域で女性に抑圧的に働いているのはイスラム教ではなくインド・イラン系、つまりアーリア人の基層的な文化なのではないか。(イラン研究者からはまた弁護の矢が飛んできそうだが)イランもまた女性の権利が低い国である。

宗教の聖典や料理や踊り、美術品等と異なり「基層文化」などと目に見えない事を言われると胡散臭く聞こえるのだろうが、私には存在しているように見える。人類学者・地域研究者はこういうことの証明も試みた方が良いのではないか。

 この反論のパターンは他の事実にも応用できる。

「歴史的にイスラム教は侵略と強制改宗を繰り返してきた。」

という主張に対する反論で、「イスラームは強制改宗は許していない。実際には異教徒にも戦争か貢納の選択肢があったのだ」というものには意味があるようには思えない(実際には強制改宗の事例が多くあるし、重税を課され雇用差別を受ければ誰でも渋々改宗する)。しかし有識者は誰も言いたがらないのか指摘しないが、歴史的に侵略を繰り返してきたのはイスラム教徒全員ではなく専らテュルク(トルコ)系である、という主張なら少なくともある程度は説得力を持つ。

コンスタンティノープルを攻め滅ぼし、東ローマ帝国を滅亡させたのは誰であったか。トルコ人である。

ヒンドゥー教徒と仏教徒が生きるインド亜大陸に侵略を繰り返し王朝を打ち立てたデリー・スルタン朝も、遂にはインドを支配するに至ったムガル帝国もトルコ系である。

仏教がイスラム国家の侵攻によって息絶えてしまった様は「インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム資料からの考察」において生々しく描写されている。

 

インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察

インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察

 

 

中央アジアにおいて仏教国を攻め滅ぼしイスラム化したのもテュルク系のカラハン朝である。ここでも強制改宗が大々的に行われたようである。

http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Int/it1802/it180204.pdf

 

これらの事実を俯瞰するとイスラム教の好戦的なイメージは騎馬遊牧民のテュルク系によって形成された可能性が浮かび上がってくる。ただ北アフリカでもジハードと強制改宗は行われてきたので騎馬遊牧民が好戦的だと言う可能性もある(アラブにしてもイラク人は【追記】果たして【追記終わり】好戦的だったのだろうか、検討の価値はある)。

もちろん現在のテュルク系諸国家はどちらかと言えば相対的に女性の地位も高く世俗的であり、トルコなどは常識的な国である。なのでトルコ系には用心すべしという”積極”には(少なくとも即座には)結びつかない。

 イスラム教への批判に対する反論として「十派一絡げにするのは良くない。それぞれの時代地域によって寛容さも女性の地位も様々だった」という反論は尤もである。

ただし特定の宗教が【修正】侵略や人権弾圧【修正終わり】を容認ないし助長してきた可能性には恐れず目を向けるべきである。

また上のような「原因はイスラム教ではなく地域文化である」という議論は、逆に言えば少なくとも悪しき地域文化との対決は覚悟せねばならない、という事も意味している。全ての文化の全ての部分を全肯定するのは難しいであろう。

いずれにせよ私が言いたかったのは人文社会科学的な議論が最も禁忌とすべきなのは差別的になる事ではなく感情的になる事である、と言う事である。

勿論私もこのブログにおいて度々冷静ではなくなっているのだろう。言うは易し行うは難し、である。

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