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Bermerkids' diary

文筆家気取りで他愛もない事を書くブログです。稚拙な主張ではありますが広い心で読んでいただければ幸いです。

私の「研究したかった事」

先日教授の所に行った所、「そんな事が此処で出来ると思うのか、さっさと研究計画を立てろ」というような御叱りを受けてしまい、それ以来鬱々としている。

アルバイトで「何時怒られるのか」と云う恐怖を毎日感じなければならない事と併せて何故生きているのか分らなくなってくる毎日である。

お金が入るから良いではないか、と言う模範解答は帰ってくるが、私にはお金の使い道など無い。この年になって短期雇用でも良いから働いてみないと「親に怒られ周りの人間に蔑まれるのが怖いから」という理由しか思いつかない。

或いは「お前はお金を学費に充てようと言う発想もないのか」と正論が返ってくるのだろうが、何故大学院に通っているのかも分からない。何しろ教授達は放置放任である。

学費の対価は何だったのですか、と教授に伺ったところ建物の建設費、電気代、図書費、フィールドに居る年長格の研究者への口添え代(つまり口賃)との答えが返ってきた。序でに「キミは何もかも他人の所為にしすぎなんじゃないかね」とも。

百歩譲って私に意欲と適性が無いのだとしても授業料分は”枯れ木に花を咲かす”努力をしてくれても良かったのではないか。昨今の私のルサンチマンである。

教授に勇気を持って自分のしたい事を話しに行った所で空しかっただけだったので、せめて教授に言いそびれた私の研究の夢を記事に書き残しておこうと思う。

 

 

 

 研究テーマを大幅に変更したいと考えたのは、自分が人文社会科学全体から受けたある印象からである。

現在の人文社会科学は人間の、“ソフトウェア”的な面についての議論がほとんどで、人間の生物としての、またフィジカルな存在としての側面から見た議論が非常に少ないように思われる。

 “ソフトウェア”的な面、と言うのは「人間かくあるべし」と言ったアイディアルな存在としての面、我々が日常的に身の回りの人間に感じている動物以上、物理的存在以上の存在としての面、日常の言語によって語られる存在としての面である。

生成文法や認知文法でさえ実際に化学や生物学からのアプローチがなされることは殆ど無い。

この「ソフトウェアだけで議論できる」と言うドグマが何をもたらしたかと言うと、人文社会科学の諸分野は、世間で一般に認知されている常識以上の発見は出来なかったと言う現状である。

勿論言語学と経済学に関して言えば、きちんと“当然の事”を記述し、“当然でない”間違った理論はその都度正してきたと言える。人文社会科学の他の分野となれば自分達から世間を混乱させてきた。

しかし私はこれら二分野についても、もう少し別の切り口があるのではないかと考えている。

現在の状況から一歩駒を進めるには進化理論、精神医学、神経生理学などの人類のハードウェア的な面からアプローチすることが必要であると考えている。

 

 

 

確かに私は幼稚だとは思うのだが、我が大学院に限らず大学院は「自分で考えて研究しなさい」と言われる割に、結果的には教授達の真似をしていれば良いと言う風潮で、しかも研究した事は物の役に立たない。

このままで我々の世代が将来という恐るべき時を切り抜けられるようにも思えない。

遠い将来を考えるべきか、考えざるべきか。私のもう一つのルサンチマンである。

 

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