Bermerkids' diary

文筆家気取りで他愛もない事を書くブログです。稚拙な主張ではありますが広い心で読んでいただければ幸いです。

暗記は馬鹿のすることか、数式は頭の固い人のすることか

我々の如きゆとれどもゆとれどもゆとらざりける様な年代の人間達には共通のトラウマとなっている体験として、

「暗記は馬鹿のする事だ」

と言うような事を事在る毎に言われた、というものが在ると思う。

それも教師のみならず親も(私に友人が殆ど居ないのかもしれないのはさておき)友人も言うのである。

「公式を覚えずとも原理さえ理解すれば良い」、この上の世代の言葉を我々の世代は頭から信じ、そして失敗してきた。

おかしいではないか、「世界は分けても分からない」、原理で全てが説明できたからといって、公式を覚えなくて良い事にはならない。

組み合わせ方にこそ世界の在り方を説明する鍵が有るのではないか。

また、原理の暗記量も膨大である。原理を理解することは「考える力」というよりは数学的証明のノウハウの暗記である。

見よ、全ては結局暗記に行き着くではないか。

勿論現在の教育が未だ暗記一辺倒だという主張には首肯できるものがある。

しかしそれは「どのように考えるか」を暗記させる必要があるというだけで、教育に恣意的に神秘的な「天才性」を開花させる事が出来るという訳でもないし、暗記が必要ないと言う訳ではない。

もう一つ書き残す必要があることがある。

理科系科目、特に物理が国の教育方針の所為で詰まらなくなっているという主張への反論である。文系の私から見てもこの考えは結構拙い。

特に物理学について言える事だが、理科というのは数学の応用そのものであるはずである。

単に面白い現象を知るのが理科というわけではないだろう。

数式が駄目と言うならば、別に音楽の楽譜でもヨルバ語の特殊アルファベットでも良い。

そういう記号を見てすぐさま拒否反応を起こさないというのはやはり技術者や学問をする人間には必須の素養ではないか。

暗記は馬鹿のすることか、数式は頭の固い人のすることか、

今一度考えてみる必要があるだろう。

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