Bermerkids' diary

文筆家気取りで他愛もない事を書くブログです。稚拙な主張ではありますが広い心で読んでいただければ幸いです。

人生経験の無い人

人生経験の無い人というとどのような人を言うだろう。

上司や仲間の出す無理難題をこなしてきた事の無い人の事を言う、という意見は至極全うである。けれどちょっと暑苦しい。もう少し涼やかに言えはしないものか。

人生経験の無い私なりに考えてみよう。

此処はてなダイアリーtwitterなどを見てふと思うのは、「人生経験が無い」というのは「身内に嫌われた経験が無い」という言い方も出来るのではないかという事である。

例えば、文字通り家族という身内に裏切られ嫌われ疎んじまれた事の無い人というのは、人生経験が無いと言える、と思う。

母親、父親或いはその両方から苛められ、相矛盾する命令をされグロッキーになった事の有る人々は幸いである。そうでない人々に比べ人生経験があるのだから。

上司、同僚、自分が属する思想集団から攻撃され陥れられた事の有る人は幸いである。そうでない人々に比べ人生経験があるのだから。

味方から弾丸を撃ち込まれた事の有る兵隊は幸いである――

さもないと人はどうしても身内だけは信用してしまう、そして遂には身内だけを信じ切るようになって、互いに腐らせるようになるからである。

そして想定外の事態、時代の変化、有害な他者に対応できなくなってしまう。

「かえるの卵のように寒天の中にくるまっている」のは自閉的な個人だけではない。健常者も徒党を組んでしている。

健常者が自閉的な人間のように一人では「かえるの卵のように寒天の中にくるま」らないのは、自分の属する集団皆でそれをして外には出たがらないからである。

冷戦にくるまっていた日本の大企業はポストモダンの到来に対応できたろうか。

冷戦にくるまっていた日本の左翼は冷戦の終わりに対応できたろうか。

不注意多動的な人間は自分の入れる「寒天」質を持たないだろう。それはアドバンテージである。

但しもし不注意他動的でありながら(珍しくも)身内に叱られ続けた、裏切られ続けた経験が無いと傍迷惑でありながら見合う物の無い能天気な人となってしまう。

心に信用を抱いてはならない。それは心を腐らせ、自分や自集団と言う寒天質から一歩も出ることを出来なくするものである。

ただ人生経験は何不自由なく育って中年まできてしまった人間が改めて積む事も出来る類のものなのではないかという気もする。

私にも私なりの人生経験があるのだと声高に言うはずが弱気になってしまった。人生経験を積まねばと思う。

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