Bermerkids' diary

あるアスペから見た世界

「周りにこれ以上迷惑をかけないために」というのは理由になるか?

「死ねば楽になれる」という言葉は、死を消滅とするならばだが、自分が死んでいるとはどういうことか想像できない以上、死んでいる自分から見た世界が想像できない以上、意味をなさないと思われる。

では「周りにこれ以上迷惑をかけないために」というのは死の理由になるのか?

迷惑をかけていたとして、冷静に考えればすべきことは賠償のための努力だろう。

でももしかしたら自分が死んだ方が世のため人のためになるケースもあるのかもしれない。

それは残念ながら自分が辿り着いた状況によるのかもしれない。

死が全く正当化できないとしたら逆に寿命による死もまた正当化できないのではないか?——そんな風に不安になってくる。

永遠に生きるための努力もまた(実現できたところで)不毛ではないのか?

死刑はどうだろう?認知的不協和を避けるために欧米諸国は廃止しているようだが、テロに対する制裁はそれなりに苛烈である。

社会はどう言いつくろったところである時に死ぬべき人間というのを定めざるを得ないのではないか?

いや思考がずれているのだろう。刑法に触れない限り「迷惑」というのはそれほどではないはずである。

しかし、それにしてもひょっとして哲学者たちの言う哲学とは宗教無しに生存の続行を正当化しようとする試みではないのだろうか?

私は普通の仏道を信じるべきではないのだろうか?

しかしそこでまた捻くれた自分に連れ戻されるのである。

私は――今の私は理屈で死にたい、いややっぱり生きたい、のではなく誰かに声をかけてほしいだけではないのだろうか?